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たすけて頂いた
ご恩を胸に

教祖のぬくもりに抱かれて

教祖のぬくもりに抱かれて

河内布教と
おやしきづとめ

「3年の寿命はない」と言われた身体。そして、盲目から元に戻していただいたりんは、もう家にジッとしていられなかった。雨の日も風の日も夜となく昼となく、おぢばに通った。河内から山超えて7里半(30km)、大雪の日、まろびつころびつ「おやしき」に帰ってきたりんを、教祖は、あたたかい両手で、しっかりと握りしめてくださった。
 そして、家も子もすっかり人任せにして、りんは女一人、白熱的な布教を始めた。いつ夜が明けたのやら、いつ陽が暮れたのやら、不思議なたすけは相ついで、3年ほどの間に道は、中河内、南河内の各村に伸び広がり、求めずして信者の結成ができた。もちろん、親戚の反対、警察の弾圧、僧侶の攻撃はあったが、さらさら気にも止めず、また、りんにたすけられた熱心な9人の周旋方は、手分けして、各地に天理王命の神名を流した。
 その間、りんの「おぢばがえり」は、ますます繁くなり、明治10年頃、教祖より「日を定めてつとめるよう」とのお言葉で、おやしきづとめが始まった。
 さらに、明治12年6月頃、「直ぐ、直ぐ、直ぐ、直ぐ。用に使うとて引き寄せた。直ぐ、直ぐ、直ぐ。早く、早く。遅れた、遅れた。さあへ楽しめ、楽しめ。」とのお言葉により、その日より、教祖のお守役として、お側に仕えるようになった。

 りんは、入信以来、教祖より「針のしん」のおゆるし、「息のさづけ」、「あしきはらいのさづけ」、「肥のゆるし」など、数々の重い理を戴き、明治33年12月15日付で本部員に登用され、さらに、教会本部の役職として制度化された明治41年12月14日、あらためて本部員に登用され、晩年までただ一人の婦人本部員として別席取次ぎをつとめた。
 明治20年陰暦正月26日、教祖が現身をかくされて後もおやしきづとめに励み、その後、明治26年5月18日の「おさしづ」により、本席様のお守役を15年間、さらに初代、二代の真柱様にお仕えして、97歳の高齢まで、「元一日の心定め」を貫き通した65年間のみちすがらであった。りんは、昭和14年(1939)12月17日、おぢばで出直した。